東京佼成ウインドオーケストラ「第135回定期演奏会」

吹奏楽を聴いてきました。


00.歌劇「リナルド」から「私を泣かせてください」(G.F.ヘンデル / 大井剛史・中橋愛生)
01.モーニング・アレルヤ冬至のための(R.ネルソン)
02.メタモルフォーゼンR.シュトラウス / 中橋愛生)
03.吹奏楽のための天使ミカエルの嘆き(藤田玄播)
04.この地球を神と崇める(K.フサ)

TKWOの定期演奏会に行ってきました。
指揮は正式者の大井剛史さん。今まではTKWOとの定期演奏会では吹奏楽のために書かれた作品を取り上げてきましたが、今回は編曲作品が選曲されていました。

ヘンデルは0曲目の扱いということで、1曲目のネルソンと続けて演奏するため、拍手は遠慮いただきたい旨のアナウンス。
大井さんのアイデアをもとに中橋さんがオーケストレーションしたというヘンデルは各パートに少しずつメロディを受け持たせつつ、穏やかで澄んだサウンド。この重いプログラムにふさわしく、上品なオープニングとなりました。

 

ネルソンのモーニング・アレルヤフレデリック・フェネルが広島での体験をもとに委嘱したという作品。広島という題材から連想されるような直接的な内容ではなく、あくまでフェネルが体験したという朝日の印象が描かれています。後半部でのにぎやかなパートでのきらびやかなサウンドはさすがTKWOといったところで、金管が鳴り響いてもどこか優しさが感じられるのは素敵です。
コンサートマスターの田中さんの入団直後頃に初演された曲とのことで、フェネルのエピソードは11月、冬の始まりであるのに対し、タイトルには冬至のためとある理由について、当時の団員から「昼と夜の長さに関連して」という意図があるらしいと聞いたとか。

 

前半最後はシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。30分の大曲です。もとは弦楽器23パートのために書かれた曲ですが、今回は管楽合奏(コントラバス有り)の編成で。もとの編成よりも多彩な楽器の種類があるとはいえ、弦楽器特有の響きであったり奏法でイメージされる楽曲のため、管楽合奏で取り組むのは非常にチャレンジングだったのではないかと想います。実際、編曲に際しても苦労はあったようですが、弦楽器ならではの奏法(トレモロやピッチカート)は意外と少なく、そういった意味では音楽的な要素に正対することができたとの話も(アフタートークにて、中橋さん)。

 

木管楽器主体での序盤ではテナーサクソフォンの松井さんの上行系での音色が印象的。次第に金管楽器も加わり、各種楽器のソロを経由して最後まで、響きがうつろい続ける様は圧巻でした。正直、1度聴いただけでは把握しきれない情報量で、これは録音でじっくり聴きたい所…。音源化、期待したいなあ…。
編曲では金管の意味をどのようにもたせるかという部分に苦心したとのことで、木管サウンドから始まってシグナルのような音形の部分から金管主体サウンドへの変容、そしてその崩壊というストーリーを想定したとのことです。中間部ではトロンボーンのソロもあり、ここではトロンボーンの宗教的な意味合いにも着目したとのことでした。

 

休憩を経て、後半は藤田玄播さんの名曲「天使ミカエルの嘆き」。曲自体は以前から知っていたのですが、実演を聴くのははじめてでした。CDなどで聴いたときはなかなか弱奏部での響きなどまでは聴き取れなかったりするので、この手の楽曲は実演だと理解のしやすさが段違いです。冒頭でのクラリネット微分音などにはこの後演奏されるフサなどからの影響も感じ取れます。「戦い」のパートでは熱くなりすぎず、神話を聞かされるかのように「天上の戦い」が描かれました。「嘆き」パートではソロが素晴らしく、オーボエソロ、トランペットソロはとても印象的でした。大井さんの音楽は嘆きや祈りといった感傷的なパートでも常にどこか冷静さというか、理性を感じることが多く、そこが魅力だとも感じています。この日も基本的にはそのとおりで、楽譜に忠実であるという「らしさ」は保っていたのですが、やはり思い入れと言うか、メッセージ性のようなものをいつもより強く感じたように想いました。

 

最後はカレル・フサの「この地球を神と崇める」。
曲は3つの楽章からなり、1楽章の「Apotheosis」では微分音などの特殊奏法、打楽器などの効果により不安定な響きが描かれます。宇宙空間をイメージしたサウンドということで、木管低音群の不穏な音色が効果的に使われます。バスサックス、コントラバスクラリネットコントラファゴットなど。シロフォンの活躍も全楽章通してすばらしかったです。


2楽章の「Tragedy of Destruction」はまさに圧巻。人間の蛮行によって地球が破壊されていくという衝撃的な描写がなされる楽章ですが、ここでの打楽器群による行為はまさに「破壊的」。TKWOでこのような強烈なエッジの音を聴いたのははじめてです。合奏体がまさに一体化したかの如くの音圧、そして一糸乱れぬ音形からは並々ならぬ気迫を感じました。そしてこれが長いこと!このテンションを10分近くも保ってしまうのはもはや驚異的です。聴いているだけで消耗するくらいですから、演奏にあたっても相当、消耗されたことでしょう。


3楽章「Postscript」では破壊後の地球が描かれます。ここで感じられるのは虚無感です。
静かで暗い響きの中、「this beautiful earth」という言葉が2回つぶやかれ、曲は終演となります。1回目の「this beautiful earth」はサックスパート等、2回目はこの呟きのためだけに奏者がアサインされていたようでした(ピッコロ奏者が一列目で、女性が望ましい、という指定があるようです)。


演奏後はしばし静寂が会場を包み、そして拍手へ。ここちよい静寂でした。

演奏会全体を通じて「平和への想い」に満ちたとても重厚なプログラミングでした。
ここまで徹底した表現を実現したTKWOと大井剛史さんには敬服しました。
今までも大井さんは吹奏楽の表現がどこまで出来るのかという可能性を聴かせてくれていましたが、今回はさらに吹奏楽でどこまで伝えられるのかという領域までを見せてくれたように感じました。

 

楽家のメッセージは、やはり音楽でこそ伝わると思います。
今回も演奏することによるメッセージというより、溢れ出るメッセージのようなものを感じました。これは言葉にしてしまえばともすれば陳腐化してしまうようなメッセージですが、音楽なら感情として、あるいは情景として伝わるのだなとあらためて感じました。

 

ヘンデルの曲の冒頭は「A」の音。そしてフサの最後の音も「A」の音で、自然音のAを使って循環した、まるい地球をイメージしたとのことでした。
演奏会自体が作品となった、稀有な体験だったと思います。

 

これだけの演奏会だったのに、観客の入りがあまりよくなかったのはつくづく惜しいと思いました。この日の演奏は記録としての意味合いでも、ぜひ音源化してほしいものです(2枚組になってしまいそうですが…)。