森下唯「オールアルカン ピアノ・リサイタルvol.4 @調布市文化会館たづくり くすのきホール」

昨年に引き続き、森下さんの演奏を聴いてきました。

 

 

01.すべての短調による12の練習曲 作品39-3 「悪魔的スケルツォ
02.片手ずつと両手のための3つの大練習曲 作品76
03.すべての短調による12の練習曲 作品39-1 「風のように」
04.すべての短調による12の練習曲 作品39-2 「モロッシアのリズムで」
05.すべての短調による12の練習曲 作品39-11 「序曲」
06.すべての短調による12の練習曲 作品39-12 「イソップの饗宴」

 

En.
07.悲愴な様式による3つの曲 作品15「風」
08.夜想曲 第1番 作品22

 

今年発売されたアルバムのうち「すべての短調」からの5曲をメインに、「片手ずつと両手のための3つの大練習曲」を挟んだ充実のプログラム。楽しく聴きました。

 

「悪魔的スケルツォ」で幕開け。客席が少しざわついていたこともあってか、序盤は若干きつそうでしたが、すぐに持ち直し、迫力たっぷりの演奏でした。アルカンの楽曲は音域を広く使った多彩な響きが楽しめますが、大きいホールで実演を聴くとスタジオ録音とはまた違った声部だったりが聴こえてきて興味深いですね。この曲での見どころはやはり後半の弱音パートで、美しくもキレのあるパッセージを楽しみました。

 

「片手ずつと両手のための3つの大練習曲」ではまず左手のみ、次に右手のみ、最後に両手合わせてという構成。とは言ってもさすがはアルカン、片手のためとは思えない音数です。森下さんの演奏はさすがの一言で、あふれるような音の中でもここがメロディなんだな、ここは連符だけど伴奏なんだな、というのがはっきりと読み取れました。これだけわかりやすく提示されると、いっそう楽曲への理解も深まるというものです。最後の「相似的無窮動」では両手で全く同じ旋律を弾き続けるという、そのコンセプトだけ聞くとハノンでも想起してしまいそうな曲。しかし片手だけであれだけ濃密な世界を描けるアルカンですから一筋縄ではいきません。片手のための曲で見せたような多彩な表現が、オクターブで演奏されることによって分厚さをもって迫ってきます。
ちなみにこの曲自体ははじめて聴いたのですが、「相似的無窮動」のメロディだけはアムランのエチュードでの引用で知っていました。このメロディ、頭に残るんですよね。

 

休憩を挟んで「風のように」。音源でも感じていましたが、これだけの速さでするっと弾いてしまうのは驚愕というほかありません。中間部の跳ねるようなメロディも楽しげで素敵。「モロッシアのリズムで」でも印象は音源と同じですが、視覚的な情報が入ることにより、さらに「ため」や「揺れ」への共感が高まりました。
「序曲」はまさにホールで聴けてよかったという曲。会場の響きによってリバーブがかかったり、あるいは細部がぼやけ気味に聴こえたりするのを含めてオーケストラのような楽しみ方ができるようになっていたと思います。やはり響きがどれくらい残るか、次の音に干渉するか、ホールで聴いた時にどのように聴こえてくるかというのは実演でないと味わえない要素ですね。

 

プログラム最後は「イソップの饗宴」。特にこの曲を楽しみにしていました。
主題が提示され、幾度も変奏されていくこの曲。森下さんは各変奏ごとに適切なキャラクターを描き分け、変奏感でも必要と思われるときは少しのマをあけて演奏していました。ファンファーレ風のパートでの輝かしさ、フォルテシモの重厚感と硬さ、何と言っても32分音符パートの華麗さには目を奪われました。あらためて、聴きやすさと変態性が同居した面白い曲だと感じました。

 

アンコールでは「風」を演奏!これもホールで聴くとさらに楽しめる曲でした。風をあらわす細かいパッセージが、ホールでいい塩梅にぼやけて本当に風のように聴こえました。そしてその中から立ち上がってくるメロディ。至福のひとときでした。
最後は「夜想曲」。アルカン弾きということで技巧ばかりに着目しがちですが、森下さんの持ち味はやはりしっとりとした弱奏での歌心だと思います。センチメンタルになりすぎることなく、あくまで上品に歌われるメロディは演奏会のエンドロールのようで、さわやかな気分になれました。

 

来年はまさかのチェロソナタを演奏予定の事!いまから楽しみです。