色々な十字架「少し大きい声」

数年前からざわざわとヴィジュアル系まわりで話題に上がっていたバンドのファーストアルバムが出た。

 

 

色々な十字架はボーカルのティンカーベル初野氏がエイプリルフールのネタとして作った楽曲「大きな大きなハンバーグ」からはじまり、次第にバンドとして本格的に活動、ワンマンライブも複数回行っている。

 

彼らの音楽性を一言で表すなら「90年代ヴィジュアル系のパロディ」であり、当時のヴィジュアル系を知るものであればニヤリとする要素が随所にちりばめられている。一方で歌詞は徹頭徹尾ふざけ倒しており、まったくもって耽美ではない。そのギャップが大きなインパクトを残し、他のパロディとは大きく異なる要素でもある。

 

パロディ要素を持つヴィジュアル系というと大きなところではゴールデンボンバーも該当するだろうし、cali≠gariの別名バンドであるLa' royque de zavyもそれにあたるといえる。しかし、色々な十字架の聴体験はそれらとは大きく異なる箇所がある。それは映像や曲では全くふざけていないということである。特に曲でそれを達成できているのは凄い。例えばメタルなどでは「アニソンのメタルアレンジ」のような企画がよく見られるのだが、そういう時は明らかに元ネタがわかるフレーズやサウンドが援用されることが多い。例えばOzzy OsbourneのCrazy Trainのリフがほぼそのまま顔を出し、それにより「メタルっぽさ」を演出するというような手法だ。これはパッと聞きでそれらしさが伝わり効果的であると同時に、結局はそのバンドの個性とはなりえないという弱点も持つ。その点において、色々な十字架は全体に90年代のサウンドを纏いつつも、そのもの、そのまんまという参照の仕方をしていないのがとても良い。

 

これはアレンジの核であるギタリスト両名とドラマーのメンバーがとにかく幅広くヴィジュアル系を聴いていることにも起因するだろう。定期的に開催されているトークイベント「ヴィ話がしたいの。」での内容からもそれは伺える。単に「LUNA SEAっぽい」「黒夢っぽい」「cali≠gariっぽい」のような特定のバンドっぽさによらず、あくまでアレンジの手法としてヴィジュアル系でよく使われるテクニックを用いることでヴィジュアル系っぽさを創り上げる。ギターフレーズが左右で掛け合いをするのはDIR EN GREY初期を思い出すし、空間的なギターの使い方にはLUNA SEAを感じる。インダストリアルさにはBUCK-TICKもほのかに香るし、節回しや発声には清春も漂う。

 

その上で歌詞は耽美のかけらもなくふざけ倒す。「ジジイ」「ババア」「ガキ」が頻出し、ヤバい奴が多くて嫌だと嘆きながら一番ヤバいことをしているヤツがこのアルバムの主人公となる。そう、このアルバムは単なるネタ曲の寄せ集めではなく、一貫性があるところもポイントだ。もちろん曲単位で聞いても十分面白いのだが、通して聴くと歌詞の語り手には連続性があることがわかる。とにかくお水をゴクゴク飲んでいるし、ジジイやババアやガキに対してちょっかいを出しまくる。目についた鳥は逃がすし肉体には自身がある。もちろん別人として描いている可能性もあるが、鳥逃がすヤツが大量にいる街は想像したくないので同一人物であってほしい。ここまで考えるとあることに気づく。そう、歌詞の中の登場人物をリンクさせて大きな物語を紡ぐのは、それこそヴィジュアル系っぽい行為なのだ。そういう意味では歌詞も十分ヴィジュアル系的であり実質Versaillesみたいなものなのかもしれない。いや、実質Versaillesは言いすぎかもしれないが。

 

ともあれ、パロディバンドという外見をしているのに非常に誠実な作りになっているのは確かで、これは現時点でもかなりの達成だと思われるし、この後も楽しみになるバンドだと思う。正直「大きな大きなハンバーグ」聞いた時点ではこんなに完成度の高いアルバムが来るとは想像できなかった。シングルの印象がアルバムでアップデートされる、得難い経験をさせてもらった。