People In The Box「Camera Obscura」

箱の中には、見かけは何もない。

 

かつてのPeople In The Boxは自らの箱の中に物語を紡いだ。後にその箱を飛び出して彼らは実験を繰り返し、今また箱の中に戻ってきた。

 

言葉を発信する以上、その内容は社会情勢と無関係ではいられない。発信者の主義、主張とも無関係ではいられない。以前の彼らにはポジションがありつつ、それを表出させないように物語で覆い隠しているような素振りが見られた。

それは誠実ではあるが、現代社会を生きるおとなとして、いつまでもそのスタンスを取り続けることは難しいのもまた確かだ。

 

今回のアルバムでは我々はカメラオブスキュラという箱の中から社会を見つめることになる。People In The Boxは何度も「身をかわせ」「気づかないふりをしていろ」と提案する。しかしあくまでそれは「なかったことにする」のではなく、自衛の一種なのだ。箱の中から社会を観察する。しかし、箱の外からは「気づいていないように見せ、身をかわす」。困難な時代を生き抜くにあたり、全てに見を晒して傷つく必要はない。突き放したような優しさが全編を包んだ作品だと感じた。

 

今作はGW連休前にリリースが発表され、休み明けに通販開始、その翌日0時には配信が解禁されるというスピード感のある方法だった。私も多くのファンの例に漏れず、注文したうえで配信を楽しみに4時間を過ごして聴いたわけだが、それでも言うのであれば今作はぜひCD版の購入もおすすめしたい。歌詞の前に9行の詩が記載されており、それぞれの楽曲への道標となるとともに、ある曲には配信版には存在しないパートが追加されている。

 

とはいえ、ここではそれらの追加情報から過剰に紐解くようなことはせず、第一印象での感触を記載したい。

 

一聴して気づくのは、歌詞の具体性と執拗なまでの踏韻だ。「戦争がはじまる」などは曲名からして昨今の世界情勢に大きく関連していると想像できるし、「中央競人場」などについてもどういう問題意識の発露なのかが推測しやすい。韻については一行の末尾で踏むとかいうレベルでなく、場所によっては一文の中で単語ごとに踏んでいたりする。どちらかというとラッパー的であり、それでいて歌ものとしての彼らの個性は保ったままであるというところが新しい感覚だ。

 

音楽的にも今まで以上にエレクトロニックな音楽への接近が見られる。音色の選択もそうだし、構成としても「DPPLGNGR」など、ビルドアップしてからのドロップで歌のないリフの繰り返しがサビ的に機能している箇所が多くある。そのうえで、曲に彩を与え、フレーズのリフレインに常に違う味付けをしているのはベースだ。スリーピースはもともとベースの比重が大きい形態ではあるが、5弦ベースの低音から高音域での和音まで、縦横無尽に味付けをするベースラインのセンスは特筆すべきものだと思う。「水晶体に漂う世界」は全編通してベース協奏曲かと思うほどの活躍。

 

自由自在なドラムも魅力的だ。「螺旋をほどく話」でみられるような円運動を描く有機的なビートから「DPPLGNGR」での無機質でタイトなフィルまで多様であるし、ゴーストを多用しつつも楽曲のストーリーに合わせてときにキックを抜いたりと柔軟。これは吹奏楽的なルーツにもよるものだと思う。クラシック的な足し引きと、AAサポートで培った機械的なビートが今までの彼らしい有機的ビートに付与されているというのをより強く感じた。

 

飛び道具的な音の使い方も魅力だ。「戦争がはじまる」でのプログレっぽいシンセ(?)の音であったり、「中央競人場」冒頭で下降しながら崩壊する2拍子(3拍子的にも聞こえる)の挿入やファンファーレのようなビットクラッシャー感のあるギター、終盤で左から聞こえるうめき声。「スマート製品」終盤の3連の3つ目でフレーズをつなげるキーボード、「カセットテープ」序盤で3+3+2ではなくあえての2拍3連でうごくベース…など、面白くもう一度聴きたい、となる仕掛けが満載で楽しい。

 

全体としてメッセージは強くあるのにのど越しは爽やかなところも嬉しい。これだけ濃密なものがライブではどのように再現されるのかもとても気になるところ。まだまだどこまで行くのかわからないバンドで追いかけがいがありますね。